GALLERY:  1 (’01-‘02)  2 (’03-’04) 3 (’05-’06) 4 (’07-’08) 5 (’09-’10) 6 (’11-’12)

STYLES HERALDRY EXHIBITION yayo’s HISTORY aboutCALLIGRAPHY

 

 

* * * About CALLIGRAPHY  * * *

calligraphey yayoのひとりごと

 

 

 

CALLIGRAPHYとは

CALLIGRAPHYを始めたきっかけ

CALLIRAPHYについて思った事

 

* CALLIGRAPHYとは *

 

カリグラフィーは、簡単に言えばローマ字の書道です。

「カリグラフィー(calligraphy)という言葉は、ギリシャ語の「美」を意味するカロス(kallosと、「書く」を意味するグラフェイン(grapheinという言葉に由来しています。

日本の文化の中に書の道があるように、西洋の文化にも 何百年と続く書の歴史があります。

 

本来は、漢字もひらがなも、毛筆も硬筆も、私の学んでいるローマ字の物も含めた、全ての「書道」を意味する言葉ですので、ラテン・カリグラフィー(Latin Calligraphy)というのが、わかりやすくて良いかもしれません。

しかし日本では一般的に、「カリグラフィー」といえば、西洋書道の事と認識されています。

 

書道である以上、文字の美しさはもっとも重要とする所です。

あとは気持ち。

表現したいと言う思いです。

作品を見ると、なんとなく誰の物かわかってしまう位に、個性が出ます。

自分が見えてくるようで楽しいですよ!

 

一般的に作品作りには、多くの道具が必要になります。

紙に書く場合、ガッシュという不透明な水彩絵の具を使用し、金属または植物や鳥の羽根などのペンを使用します。

インクは練習においてのみ使用します。

 

 

最初に戻る

 

* CALLIGRAPHYを始めたきっかけ *

 

私がカリグラフィーを始めたのは、本当にちょっとした偶然からでした。

一生続けていける趣味がほしかった時期。

仮に学ぶべき物がなくなっても、そのあと何十年と続けていく中で、その時その時なりの「味」がでる、

そんな「何か」を探していました。

それを見つけるために、ありとあらゆる物を試した中のひとつがカリグラフィーでした。

 

改めて今、思い返してみると、きっとずっと昔から興味があったのだなと思い当たる事が、多々あります。

中でも手元に残る思い出はパズル。

はじめて2,000ピースのパズルにチャレンジした時、ウットリしながら仕上げたのは、「ブラウの世界地図」でした。 

 

)ブラウの世界地図・全体図

)ブラウのサインと美しいスワッシュ

 

数ある図柄の中で、なぜあのパズルを選んだのかは、今となってはもう思い出せません。

しかし、よく見返してみれば、本当に美しいイタリック体がそこかしこに書かれていました。

手彫り版画の時代に、あれだけの柔らかい線を表現した彼らの腕と努力に敬意をはらわずにいられません。

下絵として作成した時の文字は、どれほどすばらしかったのでしょう。

このパズルは、今はもう飾ってはいませんが、自宅に額装されて今でも大事に取ってあります。

 

学生時代の授業でも、興味深く受講したものの一つに「ヨーロッパ美術」という授業がありました。

油絵や彫刻よりも、ステンドグラスや写本の授業だけは目をパッチリ開けて聞いていた記憶があります。

昔の人たちが残したかった思いが、美術にも文学にも溢れています。

美しいものを作りたかったということだけではなく、

「残したい思いがある」ということが、人の心を打つ芸術を作ったのだと私は信じています。

 

そうして社会人になりましたが、

知らず知らずのうちに、興味のある方向に進んでいたように思います。

「たくさんのお試しの中の一つ」だったカリグラフィーは、すっかり私の生活の一部になりました。

あれから何年も経って、今、学ぶ事の楽しさと喜びを、心から感じる毎日です。

少し出遅れたとはいえ、カリグラフィーという「探していた何か」に出会い、始められてよかったと思います。

 

最初に戻る

 

* CALLIGRAPHYについて思った事 *

 

私がカリグラフィーに夢中になり始めた頃、こんな質問を受けました。

「日本人なのに、どうして日本のお習字じゃないわけ?」

 

ある意味では意地悪な質問です。

負けん気の強い私は、ムッとしたのでしょうね。

「ギターを弾いている人に、なんで三味線じゃないのか聞いた事あるの?キレイだと思ったから。それだけよ!」

と答えた記憶があります。

我ながら品の無い、ひどい切り返しをしたものだと情けなくなりますが、

ムキになったからには、その意見に少なからず賛同するような迷いがあったのかもしれません。

 

しかし、

「書」という、文化の代名詞のような芸術に関わって数年が経ち、私の感覚もだいぶ変わってきました。

西洋文化に触れ、知れば知るほど、「私って日本人なんだなぁ」と感じるようになりました。

西洋文化の良さと同時に、日本文化の美しさ・すばらしさも、あらためて感じるようになったのです。

「西洋の書を学ぶ」という形で、自分の東洋人としての感性を再確認するのは、思いがけないことでした。

 

お茶やお着物などの“和の習い事”は、たしなんだとは言え 子供だまし程度です。

でもその 堅苦しいと言われる作法の一つ一つに、自然や物に対する限りない敬意や思いやりを感じます。

小さな頃の私は、そんな世界が大好きでした。

 

「究極まで削ぎ落とした所に無限を感じ取る」という、日本人が大切にしてきたその感覚は、

すでに忘れられたものでしょうか。

たとえばそれは、盆栽を愛でる人々がその小さな樹木に見る、驚くほど想像力豊かな世界です。

過去の文化人達は、

何もない空間や 静かな佇まいに、優しさ・強さ・激しさなど あらゆる物を見、聞き、感じて来たはずですよね。

 

ラテン・カリグラフィーはエレガントで華やかな芸術です。

あらゆる物をそこに表現しようと知恵を絞ります。

漢字と違い、そのものに意味を持たないアルファベットは、単語や文章を色や装飾で表現する方法を取ってきました。

何もないところには何も見ない。

この言い方は極端かもしれませんが、何かを見ようと心がける事は、一般的には無いように思います。

 

そんな芸術に携わりながら、

日本人的な美的感覚を表現するのは、きっと難しいでしょう。

でも私は、自分が持っているかもしれない、そんな敏感な感覚を大切にしたいと思っています。

西洋芸術の方法論を真摯に学び、基本に忠実に取組んでも、自分の感覚には反しないようにしていきたいと思っています。

 

 

子供の頃から、お着物やお茶や、お茶に添えられた和菓子に見られる美しい四季を好み、

畳にちょこんと座っているのが大好きだった私が、今は西洋美術を学ぶ事に夢中になっています。

 

異なる世界を一体化させる事は私の好む所ではありませんので、

私自身は当分、このまま西洋の美を求め続けるつもりです。

 

いつかは、その作品に、日本人の私だからこそ かもし出せる「空間の美」を表現できるようになるのでしょうか。

それが自分の作風かはわかりませんが、今は続けることしか出来る事がありません。

 

もし私が妥協しているように見えたら、ビシバシお叱りの言葉を頂きたく思います。

と、結局“ひとり言”のつもりがお願いをする事になってしまいました。

でも、見守っていてくださいね!

 

(下手な文章、最後まで読んでくださってありがとうございました!)

 

最初に戻る

 

 

 

GALLERY:  1 (’01-‘02)  2 (’03-’04) 3 (’05-’06) 4 (’07-’08) 5 (’09-’10) 6 (’11-’12)

STYLES HERALDRY EXHIBITION yayo’s HISTORY aboutCALLIGRAPHY

 

左のナビページが出ていない方は、こちら → HOME